定年後の人生に花咲かせよう

明日を生きるために きょう1日を大切にする 青春を忘れない 

シベリア抑留生活から帰国した将兵の話

shigako

 1945年(昭和20年)8月9日、アメリカ軍が長崎に原爆を投下し、ソ連が日本との条約を破棄し軍隊を千島列島・南樺太・満州に進攻を開始した日で、日本は戦争終結の決断をせざるを得なかった日でもあります。


 そして8月15日、日本は「終戦の日」として今年も迎えます。私たちは「平和 ボケ」し、やがて過去の「戦争の記憶」さえ失ってしまうのではないかと心配です。「私たちは戦争とは関係ない」と思わないことです。


 思い出すのは昭和57年の夏、同じ会社の役員 加藤信義氏(シベリア抑留から帰国できた旧日本軍将兵の1人)が、今まで聴くことがなかった抑留生活の様子を私に話したのでした。


 『・・・収容所建物の中は、両側に長く2段にベッドが置かれていて、部屋は削っていない隙間だらけの板で作られ、ベッドの上は何にも敷いてなく、極寒の中でも各自が持ってきた毛布を敷いて寝るという状況で、下に1枚か2枚、上に2,3枚をかけ、軍服のままゴロ寝であった・・・。


・・・冬は多くの日本兵が、栄養失調と発疹チフスで逝ってしまうというシベリアの抑留生活が続き、はるか祖国に思いをはせ、故郷の土を踏む事もできず、肉親と会う事もかなわず、今も切なく寂しく眠る多くの戦友を思う時、自分だけが帰国して、やりきれない悔しさを感じる・・・』 と・・・。


 極寒の屋外作業、ロスケ(ロシヤ兵)のこと、食事や汚物に至る話まで、あまたの厳しく つらい話を聴く事となりました。


 加藤さんからは 当時の 厳しくつらい話から、「戦争で平和は生まれない」「戦争に正義はない」戦争によって、苦しみや悲しみを強いられた人々のことを語った後、「責任はどちらの国が負うべきか、白黒の決着は難しい」と語り、8月15日が来ると抑留生活の話がよみがえって来るのです。


 そして、二度と起こしてはならない戦争体験の話を「語り継ごう」と思います。


 写真:零戦(正式名称:零式艦上戦闘機) 浜松航空自衛隊で撮影