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終戦の日に思う 靖国神社への参拝はもっと自由に

shigako

 終後81年を迎えたきょう、正午の時報とともに政府主催の全国戦没者追悼式の様子が、先の大戦の犠牲者約310万人を悼む、天皇、皇后両陛下、戦没者遺族らの参列のもとテレビで報じられ、7月28日の熊本地震から18日が経過し、終戦の日を迎えました。


 戦争の実体験を持つ人たちが少なくなり、そうした先人たちの経験や尊い命を無駄にしないで、平和をかみ締めて「遠い記憶にしない」ことだと思うのです。普段は当たり前のように過ぎ行く時間も、命の尊さ、ありがたさを思います。


 終戦の日になると、必ず報道される「総理大臣の神社へ参拝」「閣僚の参拝」「中国や韓国の反応」で「なぜ?」と、疑問がわきます。そもそも靖国神社は明治天皇の意向で創建された「東京招魂社」で、まつられているのは「御霊(みたま)」で、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の様に遺骨を納める場所、「お墓」ではありません。


 戦後の憲法下、政教分離を理由に宗教団体や野党から政府要人の参拝に反対していて、野党と中国側と靖国神社への参拝に懸念を示す意見交換をしていたとの報道もあり、中曽根康弘首相が「公式参拝」を宣言して朝日新聞が大きく報道、 その後、中国政府が史上初めて靖国神社参拝への公式な非難を表明したといいます。


 その後、政教分離、A級戦犯、戦争責任、外交問題などが複雑に絡んで、靖国神社を直接参拝すれば、純粋な追悼であったとしても、特定の政治的立場や歴史認識を支持したと解釈される可能性があり、天皇陛下や総理大臣も直接に参拝しにくい靖国神社となってしまいました。


 戦争によって、被害を受けた国の人たちが靖国神社への参拝に不安や反発を覚えることは理解できますが、外国の感情を理解することと、外国が日本の行う追悼方法を決めようとすることとは同じではなく、むしろ内政干渉と言うべきでしょう。


 政府は、靖国神社へA級戦犯の扱いを指示すれば、信教の自由や政教分離に問題が生じます。報道機関も、参拝したか、しなかっただけでなく、靖国神社の存在を説明し、なぜ国の代表が自由に参拝できなくなったかも報道すべきです。