世論とは何ものでしょう
世論とは、「世間 一般の意見」と解釈され、民主主義の原則に基づいた「市民の声」としての世に示すことが多いと思います。といっても世論が割れ、対立し合うこともあり、報道などによって影響された「空気(雰囲気)の様な意味合い」をいうときもあります。
近ごろではSNSの発達で、誰でもが広く情報を流すことができ「社会全体のムードを作り出す」といった場合もあります。共産圏の国では暴動や紛争などの有事につながらないよう検閲を行うことが多く、情報の伝達を阻止するべく、遮断や操作を行うことがあるようです。
情報伝達の方法・操作によっては誤った結論が導かれ、それによって人々が行動すれば大変危険なことです。現実と内容の隔たりが続くと、情報の操作側が多くの場合は信頼性の低下という形で表れ、失った信頼性を取り戻すことは容易でなく、発覚後は回復するのに必要以上に時間を要することがあります。
マスコミの意見や願望、なかには企業、政治、思想、宗教などが正当性を主張するための考えの他に、敵対勢力の支持を自分らに向けるためのものや、敵対勢力の行動を失墜させるための意見も世論として取り上げられることもあると思うのです。
人は自分の意見を明確に発言すると(歯に衣を着せぬコメントなど)、その発言に合った世の中の動きに同意しやすくなるものです。また、利益が得られるという意見には賛同しやすいものではないでしょうか。人の意見や考え方はいろいろあります。好意を持っている人に要請されると賛同しやすく、「イエス」の可能性が高くなると思うのです。
組織の内部告発に類似する情報など、自分の感じていることを誰も言ってくれないと思っている時に流れると、価値のある正しい情報だと思ってしまう可能性があります。事実は確かめねばなりません。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。